観音寺(補陀落山)
注目スコア
19
宗派
観音寺は広島県広島市佐伯区にある臨済宗妙心寺派寺院。
元和四年(1618年)浅野氏入封の際に一緒に来られた桂雲禅師が中興され、広島新四国第五十一番の霊場である。
ご本尊十一面観世音菩薩は大同年中(806~810)常勝将軍といわれた坂上田村麻呂公の守本尊で、身丈僅か一寸八分の秘仏である。源平の戦の際、源範頼がこの仏を奉持して平家追討西下の途中、宇品島近海で見失ったものが後年この島の漕網にかかって曳き上げられたものと伝えられ、小栗観音とも称しており、厄病、水難、難産に対して霊験著しい。藩主毛利輝元公も時々この島に遊参して敬われた。
また小早川隆景公の厳島参詣の際には、わざわざ船を岸に繋ぎ当山へ登って大慈大悲の尊像に礼拝されるのが常であった。
その後福島、浅野藩と時代は移り変わっても有徳の人々は常に当山に足を運び、杖を曳いて仏縁を結び家内安全、子孫繁栄を祈ったと口伝されている。
元和四年(1618年)浅野氏入封の際に一緒に来られた桂雲禅師が中興され、広島新四国第五十一番の霊場である。
ご本尊十一面観世音菩薩は大同年中(806~810)常勝将軍といわれた坂上田村麻呂公の守本尊で、身丈僅か一寸八分の秘仏である。源平の戦の際、源範頼がこの仏を奉持して平家追討西下の途中、宇品島近海で見失ったものが後年この島の漕網にかかって曳き上げられたものと伝えられ、小栗観音とも称しており、厄病、水難、難産に対して霊験著しい。藩主毛利輝元公も時々この島に遊参して敬われた。
また小早川隆景公の厳島参詣の際には、わざわざ船を岸に繋ぎ当山へ登って大慈大悲の尊像に礼拝されるのが常であった。
その後福島、浅野藩と時代は移り変わっても有徳の人々は常に当山に足を運び、杖を曳いて仏縁を結び家内安全、子孫繁栄を祈ったと口伝されている。
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観音寺 御朱印画像
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観音寺 参拝ブログ
参拝日 2015年4月26日 日曜日広島市佐伯区にある観音寺へ行きました。 ここは、山陽花の寺第二十四番札所となっていて、満願(結願)札所のお寺です。お天気に恵まれたこの日の10時に観音寺へ到着しました。
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