須賀神社(若一王子社 にゃっこうじさん)
注目スコア
20
創建
元慶元年(877)
位置
須賀神社は福岡県北九州市小倉北区須賀町12-24の神社。
古くは「若一王子社」といい、今でも地元の古い人は「にゃっこうじさん」と親しみをこめて呼んでいる。前の橋の名も「若一王子橋」である。
平安初期の元慶元年(877)9月8日創建という。この年三鏡山(小文字山)に怪火があり、富野村では悪疫が流行し多数の死者がでた。ある日村人が山中で出会った童子に「我は須佐之男命(すさのおのみこと)の化身なり。悪疫を終わらせたくば我が宮を建てよ」と言われた。村人たちは山中に神社を建て「若一王子社」と呼んだ。悪疫は収まり平穏な里になった。
応永年間(1400年頃)裏山の若王子城主門司一徳斉俊親が、山中の神社を今の所に移した。その後戦乱が絶えず神社も荒廃した。
江戸時代になって、村人たちは藩主細川忠興に神社の再興を願いでて、元和3年(1617)130年ぶりに再建した。
また、江戸中期の有名な儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)が、近くの小笠原藩家老の別荘「忘言帝」に来た時、ここにも立ち寄ったらしく、「四海太平 少将之春」の書を残している。
古くは「若一王子社」といい、今でも地元の古い人は「にゃっこうじさん」と親しみをこめて呼んでいる。前の橋の名も「若一王子橋」である。
平安初期の元慶元年(877)9月8日創建という。この年三鏡山(小文字山)に怪火があり、富野村では悪疫が流行し多数の死者がでた。ある日村人が山中で出会った童子に「我は須佐之男命(すさのおのみこと)の化身なり。悪疫を終わらせたくば我が宮を建てよ」と言われた。村人たちは山中に神社を建て「若一王子社」と呼んだ。悪疫は収まり平穏な里になった。
応永年間(1400年頃)裏山の若王子城主門司一徳斉俊親が、山中の神社を今の所に移した。その後戦乱が絶えず神社も荒廃した。
江戸時代になって、村人たちは藩主細川忠興に神社の再興を願いでて、元和3年(1617)130年ぶりに再建した。
また、江戸中期の有名な儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)が、近くの小笠原藩家老の別荘「忘言帝」に来た時、ここにも立ち寄ったらしく、「四海太平 少将之春」の書を残している。
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こんにちは昨日は小倉北区の神社を巡ってきました八坂神社の御朱印は一番最初に頂いてるので、まずは古船場んな素敵な御朱印を頂きましたそして次は須賀神社へ。山の上の方にあるので、秋に行けば紅葉が綺麗だそうです。御朱印を頂けました
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