粟嶋神社
注目スコア
2
種別
御祭神
創建
不詳
位置
粟島神社(あわしまじんじゃ)は、鳥取県米子市彦名町にある神社である。淡嶋神社の一つ。少彦名命を祭神とする。
度々の火災で記録を失っており、創建年は不明。
境内は標高36メートルの山(明神山)になっているが、かつては中海の小島のひとつだった。島(山)全体が神山とされ、古い時代には社殿は山麓にあったとされている。
戦国時代、尼子氏の伯耆侵攻の際に社殿が焼失し、後に尼子氏が再建し社領を寄進した。そのあと戦国期を通じ、この地方ではしばしば支配勢力が変わったが、時の支配者たちの庇護を受けた。
江戸期になると、元禄期(1688年~1704年)に社殿が焼失し、翌年再建されるにあたり、それまでの山麓から山頂へ移された。その後、宝暦期(1751年~1763年)に粟島周辺が干拓され、「彦名干拓地」一帯と地続きになった。
なお、江戸期には「粟島大明神」として祀られており、明治維新の際に、境内の諸社を合祀して粟島神社に改名した(明神や神仏分離令を参照。)。また、明治元年には西園寺公望が参詣した。その後、神社の整理統合が行われる中、大正時代に近隣の北野神社(後藤地区)・余戸神社(下粟島地区)を合併した。
1936年(昭和11年)には社殿が再築され、現在に至る。
度々の火災で記録を失っており、創建年は不明。
境内は標高36メートルの山(明神山)になっているが、かつては中海の小島のひとつだった。島(山)全体が神山とされ、古い時代には社殿は山麓にあったとされている。
戦国時代、尼子氏の伯耆侵攻の際に社殿が焼失し、後に尼子氏が再建し社領を寄進した。そのあと戦国期を通じ、この地方ではしばしば支配勢力が変わったが、時の支配者たちの庇護を受けた。
江戸期になると、元禄期(1688年~1704年)に社殿が焼失し、翌年再建されるにあたり、それまでの山麓から山頂へ移された。その後、宝暦期(1751年~1763年)に粟島周辺が干拓され、「彦名干拓地」一帯と地続きになった。
なお、江戸期には「粟島大明神」として祀られており、明治維新の際に、境内の諸社を合祀して粟島神社に改名した(明神や神仏分離令を参照。)。また、明治元年には西園寺公望が参詣した。その後、神社の整理統合が行われる中、大正時代に近隣の北野神社(後藤地区)・余戸神社(下粟島地区)を合併した。
1936年(昭和11年)には社殿が再築され、現在に至る。
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粟嶋神社 御朱印画像
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