浪岡八幡宮
浪岡八幡宮は青森県青森市浪岡大字浪岡字林本121-2の神社。
創建は大同2年(807)、坂上田村麻呂が東夷東征の際、この地に宇佐八幡宮の分霊を勧請して国家鎮護の祈願を行い祠を建立したのが始まりと言われている。
以来、歴代領主から信仰され、中世は浪岡城主となった北畠氏から崇敬庇護され、社殿の修復や社領の寄進が行われ、祭祀には家老赤松隼人が取り仕切っていた。
江戸時代に入ると弘前藩主である歴代津軽家の祈願所となり、慶長19年(1614)に2代藩主津軽信枚が社殿を再建以降、寛永、元禄、寶暦、寛政、嘉永の改修には藩費によって賄われた。
明治時代に入り郷社に列し、昭和13年には県社に昇格。
浪岡八幡宮と一緒に言及されている神社・寺院
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善知鳥神社(うとうじんじゃ)は、青森県青森市安方にある神社である。旧社格は県社。
允恭天皇の時代に善知鳥中納言安方とい
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青森県青森市浪岡大字浪岡字林本121-2
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三内八幡宮は青森県青森市三内沢部209番の神社。
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永和年中 (1375年頃) 北畠顕能卿が建立、 万治年中 (165
浪岡八幡宮 参拝ブログ
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青森県青森市の浪岡地域は、北畠氏が入部して浪岡城を築き、大いに栄えたという町。現在はゆるキャラ「バサラくん」や、特産品「バサラコーン」など、婆娑
<2017年9月8日> 青森市浪岡の街サイクリング。 「 中世の館 」 から 「 浪岡八幡宮 」 の境内を廻って、再び自転車を漕ぎはじめました。 神社の隣
<2017年9月8日> 青森市浪岡の街サイクリング。 マップのルートに沿って 「 中世の館 」 まで来ました。 その敷地内にあったのが、古民家を移築し
<2017年9月8日> 青森市浪岡の街サイクリング。 「 まちてくマップ 」 のモデルルートに従って、「 浪岡八幡宮 」 まで来ました。鳥居をくぐって境
す。一、大星神社所在地:青森市問屋町一丁目18-28二、浪岡八幡宮所在地:青森市浪岡字浪岡林本121-2三、猿_)m宮司さんが常駐していない神社あるので、御朱印は、期待できない読んで頂き心より感謝しますm(__)mト
坂上田村麻呂東征のさい、宇佐八幡宮の神霊をこの地に勧請したそうです。境内に土俵があります。赤ちゃんの泣き相撲で賑わいます。
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タイトルの通り、僕は青森県に住んでいます。 平均的なお国意識もあります。「こんな田舎なんて!」と 恨んだ事は一回もありません。それはともかく、こ
浪岡八幡宮(なみおかはちまんぐう)住所:青森県青森市浪岡字林本123旧県社神紋:右二つ巴祭神:譽田別尊(ほんだわけのみこと、応神天皇)浪岡八幡宮は青森市浪岡(旧
泣き相撲で知られている神社のようです。そして、相撲場の土俵が大きくて立派です浪岡八幡宮感謝を捧げます
津軽の北斗信仰が伝わる七つの神社巡り、今回はその二つ目、青森市浪岡の浪岡八幡宮です。この八幡宮は、中世に北畠氏の居城であった浪岡城入り口の向か
浪岡城は、青森市西南部、旧浪岡町にある平城です。 城主は浪岡北畠氏といい、先祖は南北朝時代に後醍醐天皇を助けた北畠親房、顕家と伝えられます。顕家
8月16日(火)みなさんこんにちは。お盆も終盤に入りましたね! ここ、青森市浪岡では、毎年お盆の8月14日~17日まで『浪岡北畠まつり』
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