智源寺(松渓山)
注目スコア
2
宗派
創建
寛永2年(1625)5月
智源寺は京都府宮津市京街道769の曹洞宗寺院。
寛永2年(1625)5月、宮津城主・京極丹後守高広公が、母の惣持院殿松渓智源大禅定尼追善のために建立した。山号の松渓山、寺号の智源寺はこの松渓智源禅定尼に由来する。寛文元年(1661)大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、丹後曹洞宗の諸寺を統率した。
本堂は文化元年(1804)3月に再建され、その後修改築される。
御本尊は聖観世音菩薩立像の黄金仏を秘仏として祀り、安永元年(1772)4月、宮津吉原の畑より出土し、宮津城中に40年間祭祀されていたものを文化8年(1811)2月、藩主・本庄宗発公より賜ったという。
本堂の格天井に描かれている花草図は、江戸時代後期円山四條派・土佐派、20人の傑作で、京都府の文化財に指定されている。
寛永2年(1625)5月、宮津城主・京極丹後守高広公が、母の惣持院殿松渓智源大禅定尼追善のために建立した。山号の松渓山、寺号の智源寺はこの松渓智源禅定尼に由来する。寛文元年(1661)大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、丹後曹洞宗の諸寺を統率した。
本堂は文化元年(1804)3月に再建され、その後修改築される。
御本尊は聖観世音菩薩立像の黄金仏を秘仏として祀り、安永元年(1772)4月、宮津吉原の畑より出土し、宮津城中に40年間祭祀されていたものを文化8年(1811)2月、藩主・本庄宗発公より賜ったという。
本堂の格天井に描かれている花草図は、江戸時代後期円山四條派・土佐派、20人の傑作で、京都府の文化財に指定されている。
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智源寺 御朱印画像
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