本満寺(広宣流布山本願満足寺 広布山)
注目スコア
39
宗派
創建
1410年(応永17年)
本満寺(ほんまんじ)は、京都府京都市上京区にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は広布山。塔頭が四院ある(一乗院、守玄院、実泉院、法泉院)。
1410年(応永17年)本圀寺から分立し、六老僧の一人日持を崇敬開山として玉洞妙院日秀(関白・近衛道嗣の子)が開基。当時は上京区元本満寺町(新町通今出川上る西入)付近にあった。1536年(天文5年)天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。寺伝によれば、それから間もない1539年(天文8年)、関白近衛尚通が現在の地に移建し、後奈良天皇の勅願寺となるという。ただし、移建の時期については異説もある。山科言継の日記『言継卿記』の記載によれば、1545年(天文14年)の時点で本満寺は「近衛殿近所」に存在していた。この「近衛殿近所」が具体的にどこを指すかは定かでないが、本満寺の現在地(寺町通り今出川上る)には該当しない。このことから、1590年(天正18年)頃、豊臣秀吉が京都の寺院を寺町通り沿いに強制移転させた時期に本満寺も移建されたとする説もある。
1410年(応永17年)本圀寺から分立し、六老僧の一人日持を崇敬開山として玉洞妙院日秀(関白・近衛道嗣の子)が開基。当時は上京区元本満寺町(新町通今出川上る西入)付近にあった。1536年(天文5年)天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。寺伝によれば、それから間もない1539年(天文8年)、関白近衛尚通が現在の地に移建し、後奈良天皇の勅願寺となるという。ただし、移建の時期については異説もある。山科言継の日記『言継卿記』の記載によれば、1545年(天文14年)の時点で本満寺は「近衛殿近所」に存在していた。この「近衛殿近所」が具体的にどこを指すかは定かでないが、本満寺の現在地(寺町通り今出川上る)には該当しない。このことから、1590年(天正18年)頃、豊臣秀吉が京都の寺院を寺町通り沿いに強制移転させた時期に本満寺も移建されたとする説もある。
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本満寺 御朱印画像
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の日私の誕生日は絶対行こうと決めていた京都市上京区にある京都十六本山『本満寺』へ以前から書いてますが私は高一まで本テンション上がるわ~~い誕生日の日付の御朱印(ご首題)とゆる~く巡りだした洛陽十二支妙見のお参りを目的に来た
本満寺です。もともとは本圀寺から分立し国寺の東側、鴨川沿いにあります。御朱印をいただくようになって、それまで首題をいただけました。 【所在】京都市上京区寺町通今出川上ル2丁目鶴山町16【アクセス】京阪電車 出町柳駅か
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