白峰宮
注目スコア
15
種別
御祭神
創建
長寛2年(1164年)
位置
白峰宮(しらみねぐう)は、香川県坂出市に鎮座する神社。明ノ宮(あかりのみや)とも。旧社格は県社。
保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、長寛2年(1164年)に崩御するまでの9年間を讃岐で過ごした。上皇の崩御後、遺体を当地の清水に浸しておいたところ神光が輝いたことから、二条天皇の宣旨を受け長寛2年(1164年)に造営されたと伝える。後嵯峨天皇の時代には荘園などが施入されている。
江戸時代には崇徳天皇社野沢井宮・崇徳天皇明の宮などと呼ばれ、金華山妙成就寺摩尼珠院と一体の存在として四国八十八箇所の七十九番札所であった。
摩尼珠院は空海(弘法大師)の創建と伝えられ、崇徳上皇もよく訪れたという。崇徳天皇社が創建されてからはその別当となり、天皇にゆかりの深い寺ということから「天皇寺」と称するようになった。
しかし、明治の神仏分離で崇徳天皇社は白峰宮となり、摩尼珠院は廃寺とされたため、筆頭末寺の高照院がその跡に移転し、天皇寺を再興して札所を引き継いだ。現在、白峰宮の三ツ鳥居(三輪鳥居)から社殿に向かう参道の両脇に天皇寺高照院の境内がある。なお、三ツ鳥居には享保19年(1734年)衆力合成惣氏子中と刻まれている。
さぬき十五社9番
保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、長寛2年(1164年)に崩御するまでの9年間を讃岐で過ごした。上皇の崩御後、遺体を当地の清水に浸しておいたところ神光が輝いたことから、二条天皇の宣旨を受け長寛2年(1164年)に造営されたと伝える。後嵯峨天皇の時代には荘園などが施入されている。
江戸時代には崇徳天皇社野沢井宮・崇徳天皇明の宮などと呼ばれ、金華山妙成就寺摩尼珠院と一体の存在として四国八十八箇所の七十九番札所であった。
摩尼珠院は空海(弘法大師)の創建と伝えられ、崇徳上皇もよく訪れたという。崇徳天皇社が創建されてからはその別当となり、天皇にゆかりの深い寺ということから「天皇寺」と称するようになった。
しかし、明治の神仏分離で崇徳天皇社は白峰宮となり、摩尼珠院は廃寺とされたため、筆頭末寺の高照院がその跡に移転し、天皇寺を再興して札所を引き継いだ。現在、白峰宮の三ツ鳥居(三輪鳥居)から社殿に向かう参道の両脇に天皇寺高照院の境内がある。なお、三ツ鳥居には享保19年(1734年)衆力合成惣氏子中と刻まれている。
さぬき十五社9番
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