赤郷八幡宮
注目スコア
3
創建
神護景雲3年(769)
位置
赤郷八幡宮は山口県美祢市美東町赤3841番の神社。
奈良時代、神護景雲3年(769)のころ、現在御鎮座の山(長生山)の南面の大迫谷という所に、朝廷よりの勅命をうけ豊前国宇佐八幡宮より勧請し創建したのが赤郷八幡宮の起源である。
当時は中西国の惣社とあがめられた。弘法大師が諸国巡行のおりに自刻の仏像を奉納したと伝えられ、現在安置されている二体の仏像がそれであると申し伝えられている。
毛利氏の時代、元就、輝元両時代にには広壮な社殿が造営されたが、寛永2年(1625)野火のために焼失し当分の間仮御殿となった。
寛永19年(1642)火の用心として当長生山の辰巳(東南)の方向の現在地に移し造営した。
源頼朝、足利、大内および毛利元就、輝元、秀就の御判物が数多くあり、当時の神官宮原大藏丞信盛の時代まで所持していたが、寛永二年の火難のために焼失した。
奈良時代、神護景雲3年(769)のころ、現在御鎮座の山(長生山)の南面の大迫谷という所に、朝廷よりの勅命をうけ豊前国宇佐八幡宮より勧請し創建したのが赤郷八幡宮の起源である。
当時は中西国の惣社とあがめられた。弘法大師が諸国巡行のおりに自刻の仏像を奉納したと伝えられ、現在安置されている二体の仏像がそれであると申し伝えられている。
毛利氏の時代、元就、輝元両時代にには広壮な社殿が造営されたが、寛永2年(1625)野火のために焼失し当分の間仮御殿となった。
寛永19年(1642)火の用心として当長生山の辰巳(東南)の方向の現在地に移し造営した。
源頼朝、足利、大内および毛利元就、輝元、秀就の御判物が数多くあり、当時の神官宮原大藏丞信盛の時代まで所持していたが、寛永二年の火難のために焼失した。
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