朝椋神社
注目スコア
2
御祭神
創建
不詳
位置
朝椋神社(あさくらじんじゃ)は、和歌山県和歌山市鷺ノ森明神丁にある神社。式内社で、旧社格は村社。
古い由緒は不詳。平安時代中期の『延喜式』神名帳には紀伊国名草郡に「朝椋神社」と記載され、式内社に列している。また『紀伊国神名帳』には「従四位上 朝椋神」と記載されている。
明治時代の『和歌山県神社明細帳』によれば、寛弘2年(1005年)5月に摂社修葺、永徳2年(1382年)5月・応永18年(1411年)4月・永享10年(1438年)12月・康正3年(1457年)8月・永正年間(1504年-1521年)に造営があり、天正年間(1585年)の兵火で社領を失ったという。そして文禄5年(1596年)に和歌山城代・桑山重晴が再建したが、万治2年(1659年)に焼失、翌年紀州徳川家により復旧された。
享保8年(1723年)の「鷺森神社記」によると、式内社・朝椋神社は所在不明となっていたが、延宝年間(1673年-1681年)に和歌山藩の儒者・李梅渓がそれまで「顕国社」と称した当社を式内社に比定し、社名を「朝椋神社」に改称したという。
明治に入り、近代社格制度では村社に列した。社殿は第二次大戦の和歌山市空襲で焼失し、昭和35年に再建された。
古い由緒は不詳。平安時代中期の『延喜式』神名帳には紀伊国名草郡に「朝椋神社」と記載され、式内社に列している。また『紀伊国神名帳』には「従四位上 朝椋神」と記載されている。
明治時代の『和歌山県神社明細帳』によれば、寛弘2年(1005年)5月に摂社修葺、永徳2年(1382年)5月・応永18年(1411年)4月・永享10年(1438年)12月・康正3年(1457年)8月・永正年間(1504年-1521年)に造営があり、天正年間(1585年)の兵火で社領を失ったという。そして文禄5年(1596年)に和歌山城代・桑山重晴が再建したが、万治2年(1659年)に焼失、翌年紀州徳川家により復旧された。
享保8年(1723年)の「鷺森神社記」によると、式内社・朝椋神社は所在不明となっていたが、延宝年間(1673年-1681年)に和歌山藩の儒者・李梅渓がそれまで「顕国社」と称した当社を式内社に比定し、社名を「朝椋神社」に改称したという。
明治に入り、近代社格制度では村社に列した。社殿は第二次大戦の和歌山市空襲で焼失し、昭和35年に再建された。
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