丹生神社
注目スコア
20
種別
創建
継体天皇16年(523年)
位置
丹生神社(にうじんじゃ)は、埴山姫命を祭神とする三重県多気郡多気町丹生に鎮座する神社。延喜式神名帳、飯高郡九座に列せられた由緒ある神社である。
聖武天皇が東大寺大仏殿の建立のさい、水銀の産出をこの地の神に祈ると忽ち水銀が湧出したので、丹生明神と名づけた。又、嵯峨天皇が降雨を祈ったら霧雨があり、晴れを祈ったら、晴れたという故事により、丹生大明神は祈雨、祈晴の神ともいう。
中世、伊勢の国司北畠氏が毎年参拝し、造営等の奉仕をした。その後、松坂城主・古田大膳より慶長16年(1611年)高30石を寄進するとの寄付状が交付された。同年、伊勢外宮権祢宜檜垣筑後が、当社神主をかね以後檜垣が神主となった。(現在とは異なる)
元和5年(1619年)紀州藩・徳川頼惟宣から社領30石を認められた。以後の藩主は自ら参向して国家安穏・五穀豊穣を願い金銀等を寄進した。安永5年(1776年)紀州藩寺社奉行の直支配になり境内は御免許地となった。また延宝5年(1677年)より伊勢神宮の遷宮の翌年その古殿材を拝領して造営した時代もあった。
明治41年1月21日境内社十数社を合祀した。
なお近接する神宮寺とともに水銀に関する遺物が保存され、両者は水銀を通じて深い関係にあることが推察できる。
聖武天皇が東大寺大仏殿の建立のさい、水銀の産出をこの地の神に祈ると忽ち水銀が湧出したので、丹生明神と名づけた。又、嵯峨天皇が降雨を祈ったら霧雨があり、晴れを祈ったら、晴れたという故事により、丹生大明神は祈雨、祈晴の神ともいう。
中世、伊勢の国司北畠氏が毎年参拝し、造営等の奉仕をした。その後、松坂城主・古田大膳より慶長16年(1611年)高30石を寄進するとの寄付状が交付された。同年、伊勢外宮権祢宜檜垣筑後が、当社神主をかね以後檜垣が神主となった。(現在とは異なる)
元和5年(1619年)紀州藩・徳川頼惟宣から社領30石を認められた。以後の藩主は自ら参向して国家安穏・五穀豊穣を願い金銀等を寄進した。安永5年(1776年)紀州藩寺社奉行の直支配になり境内は御免許地となった。また延宝5年(1677年)より伊勢神宮の遷宮の翌年その古殿材を拝領して造営した時代もあった。
明治41年1月21日境内社十数社を合祀した。
なお近接する神宮寺とともに水銀に関する遺物が保存され、両者は水銀を通じて深い関係にあることが推察できる。
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