陸奥総社宮
注目スコア
13
種別
パワースポット
位置
陸奥総社宮(むつそうしゃのみや/むつそうじゃぐう)は、宮城県多賀城市市川にある神社。陸奥国総社で、旧社格は村社。
八塩道老翁神、八塩道老女神を主祭神とし、陸奥国内31郡の式内社100社の神霊を合わせ祀る。
古代、国司には各国内の神社を巡拝する任務があった。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。この制は平安時代に広まったものであるが、陸奥国の総社について当時の記録はない。陸奥国府(多賀城)の近く、「奏社宮」と呼ばれていた当社を総社に比定する説が江戸時代から有力視されているが、当社で伝える古記録は失われており明らかでない。なお、鹽竈神社を総社とする説があるほか、『延喜式』神名帳に載る「多賀神社」を当社に比定する説もある。
鎌倉時代には、陸奥留守職に任じられて「留守」姓を名乗るようになった伊沢氏により崇敬を受け、祭祀料として3,000刈の社地が寄進されたという。江戸時代になると仙台藩初代藩主の伊達政宗による領内寺社整備が行われ、法蓮寺(鹽竈神社別当)末寺の市川山神奏院が別当として置かれ社務が行われた。『宮城県神社名鑑』によれば、奏社宮には歴代藩主の尊崇が篤く、親拝代参などがあったという。
明治維新後、明治4年(1871年)10月に近代社格制度において村社に列した。明治41年(1908年)に貴船神社など7社が合祀されたほか、大正12年(1923年)8月には神饌幣帛料供進神社に指定された。
現在も安産守護・海上守護・歳徳・武徳・大難除けの神として崇敬されている。
八塩道老翁神、八塩道老女神を主祭神とし、陸奥国内31郡の式内社100社の神霊を合わせ祀る。
古代、国司には各国内の神社を巡拝する任務があった。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。この制は平安時代に広まったものであるが、陸奥国の総社について当時の記録はない。陸奥国府(多賀城)の近く、「奏社宮」と呼ばれていた当社を総社に比定する説が江戸時代から有力視されているが、当社で伝える古記録は失われており明らかでない。なお、鹽竈神社を総社とする説があるほか、『延喜式』神名帳に載る「多賀神社」を当社に比定する説もある。
鎌倉時代には、陸奥留守職に任じられて「留守」姓を名乗るようになった伊沢氏により崇敬を受け、祭祀料として3,000刈の社地が寄進されたという。江戸時代になると仙台藩初代藩主の伊達政宗による領内寺社整備が行われ、法蓮寺(鹽竈神社別当)末寺の市川山神奏院が別当として置かれ社務が行われた。『宮城県神社名鑑』によれば、奏社宮には歴代藩主の尊崇が篤く、親拝代参などがあったという。
明治維新後、明治4年(1871年)10月に近代社格制度において村社に列した。明治41年(1908年)に貴船神社など7社が合祀されたほか、大正12年(1923年)8月には神饌幣帛料供進神社に指定された。
現在も安産守護・海上守護・歳徳・武徳・大難除けの神として崇敬されている。
地図表示位置は正確ではない場合があります
陸奥総社宮と一緒に言及されている神社・寺院
関連寺院
陸奥総社宮 御朱印画像
多賀城市で人気の神社
陸奥総社宮 参拝ブログ
頃から本格的に始まった神社合祀の流れを受けて、浮嶋神社も陸奥総社宮に合祀されそうになったが浮嶋神社は由緒ある神い末広がりの扇形になっています。 浮嶋神社の御朱印ですが、以前は授与を行っていませんでしたが、ここ数年の間
青木神社は多賀城市大代の柏木神社が兼務されていますので、御朱印はそちらで拝受することになります。青木神社のりするシリーズもこれで終了。 十四末社である陸奥総社宮なども御朱印はありますが、それはまた別の機会に。なお、陸
『陸奥総社宮』 【御祭神】八塩道老翁神、八塩道老女神 住所:宮城県多賀城市市川字奏社1参字奏社1参拝日:平成29年3月13日(月) 仕事で近くを通ったので立ち寄ってみました。 御朱印はこちら 『陸奥総社宮について』ホームペ
関連ブログは自動収集しています。必ずしも正確とは限りません。