梶原稲荷神社
注目スコア
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御祭神
位置
梶原氏一門の古墳の上に建つ謎めいた隠れ家的稲荷社
梶原稲荷神社は東京都品川区東大井3丁目9の神社。
建久3年(1192)、源頼朝の命を受けた梶原景時が武蔵國荏原郡大井村鹿島谷に萬福寺を建立。その守護神として勧請された。
萬福寺は元応2年(1320)に火災により焼失、稲荷祠だけが焼け残ったという。寺は馬込村(大田区)に移り、稲荷社は梶原景時の屋敷に奉遷され、のちに来福寺に奉納されたという。
建久3年(1192)、源頼朝の命を受けた梶原景時が武蔵國荏原郡大井村鹿島谷に萬福寺を建立。その守護神として勧請された。
萬福寺は元応2年(1320)に火災により焼失、稲荷祠だけが焼け残ったという。寺は馬込村(大田区)に移り、稲荷社は梶原景時の屋敷に奉遷され、のちに来福寺に奉納されたという。
梶原稲荷神社 参拝写真
写真追加更新日:2018年06月25日(オリジナル取材写真)
梶原稲荷神社 参拝一言コメント
立会川駅と鮫洲駅の間ですが、旧東海道ではなく第一京浜の西側、高台になった住宅街を上がっていったところです。細い路地をくねくねと曲がっていた奥に鎮座していて、隠れ家的でわくわくします。梶原氏一門の古墳の上にあり、参道がこの梶原塚を一周するような形になっています。
説明板に以下のようにありました。
今を距たる772年前(建久3年)梶原兵三景時、征夷大将軍源頼朝の命を奉じて、武蔵国大井村鹿島谷に萬福寺を建立し、その境内に守護神として稲荷を勧請して梶原稲荷と尊称した。元応元年10月、萬福寺は兵火により焼失し馬込村に移りたるに依り、焼ヶ残りし稲荷祠は梶原屋敷内に奉遷されて、後、柴村来福寺に奉納され、その追福のため同寺へ松櫻などを植え寄進した。この梶原塚は、桓武天皇5代の裔、常陸少椽良茂より5代の孫、鎌倉權五郎景正の子孫梶原日向守、亦梶原助五郎一族を祀る古墳である。従来、この稲荷祠は南浜川櫻井源兵衛氏の所有なりしが、大正14年1月より地元、元芝、関ヶ原に居住する信仰者に管理を委任され、地元民の協力に依り社務所を建設し維持管理に当って今日に至った。梶原氏は鎌倉權五郎景正、梶原兵三景時、梶原源太景季と代々武勇の誉高く、子孫皆よく栄え、又、古来この地に火災、災難等無きは、梶原稲荷の御守護によるものなりと伝えられ、住民皆襟を正して尊敬し。昭和38年浄財に依り大修理を加え、神徳をたたえて信者集い祭祀を厳修した。昭和39年2月15日初午の日 梶原稲荷講
地図表示位置は正確ではない場合があります