式内隼神社
注目スコア
49
種別
御祭神
位置
隼神社(はやぶさじんじゃ)は京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町18-2の神社。梛神社境内にある。式内社(大社)。
国史では『日本三代実録』において、貞観2年(860年)から貞観16年(874年)にかけて「後院隼神」の神階が無位から従四位上まで昇叙された旨の記載がある。また、延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では「京中坐神三座 並大」のうちに「左京四条坐神一座 月次新嘗 隼神社」として、式内大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。
『三代実録』当時に四条に所在した後院は朱雀院(右京三条から四条)であることから、この隼神社は朱雀院の院内に祀られた神社であったと見られている。朱雀院の復元研究においても院の南西角に鎮守として石神明神・隼社があったことが明らかとなっており、当時の隼社の位置は四条大路と皇嘉門大路交点の北東角、すなわち現在の中京区壬生花井町の南西部分と推定されている。その後、『延喜式』編纂時までには左京四条坊内坊城小路に移されたと見られ、以後同地で推移したとされる。
江戸時代には「隼」が訛って「ハヤクサ」と読まれたことから、瘡(くさ:皮膚病の一種)の平癒のために信仰されたという。その後大正7年(1918年)に現在地の梛神社境内に遷座した。旧鎮座地には石碑が建てられている。
なお、奈良県奈良市にも隼神社の鎮座が知られる。同社の社伝では、平安遷都に伴い勧請されて平安京中の隼神社になったとするが、詳らかではない。
国史では『日本三代実録』において、貞観2年(860年)から貞観16年(874年)にかけて「後院隼神」の神階が無位から従四位上まで昇叙された旨の記載がある。また、延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では「京中坐神三座 並大」のうちに「左京四条坐神一座 月次新嘗 隼神社」として、式内大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。
『三代実録』当時に四条に所在した後院は朱雀院(右京三条から四条)であることから、この隼神社は朱雀院の院内に祀られた神社であったと見られている。朱雀院の復元研究においても院の南西角に鎮守として石神明神・隼社があったことが明らかとなっており、当時の隼社の位置は四条大路と皇嘉門大路交点の北東角、すなわち現在の中京区壬生花井町の南西部分と推定されている。その後、『延喜式』編纂時までには左京四条坊内坊城小路に移されたと見られ、以後同地で推移したとされる。
江戸時代には「隼」が訛って「ハヤクサ」と読まれたことから、瘡(くさ:皮膚病の一種)の平癒のために信仰されたという。その後大正7年(1918年)に現在地の梛神社境内に遷座した。旧鎮座地には石碑が建てられている。
なお、奈良県奈良市にも隼神社の鎮座が知られる。同社の社伝では、平安遷都に伴い勧請されて平安京中の隼神社になったとするが、詳らかではない。
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式内隼神社 御朱印画像
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区壬生梛ノ宮町にある 元祇園梛神社 式内隼神社 のステキな【例祭特別御朱印】 1日限定20枚で 平成29年5月1日から21日まで いただけます 神幸祭に合わせ20日・21日は 金文字の限定御朱印 1日
・・・で、実は同じ敷地内にもうひとつ式内隼神社と言う神社も あるんですよ。 一応、対象の神社は元祇園の方でしたが今思えば、両方 いただいても良かったなぁ・・・と後悔しております。 ここでも無事に御朱印をいただき次に向かうのです
ばんは!今日は、節分祭の元祇園梛神社・隼神社→壬生寺、洛陽巡礼の長圓寺に行っ壬生村より出る定めになってます。式内 隼神社:厄除けの神・病気平癒の参りしました。こちらの社務所で、御朱印頂きました。今回は、節分限定御朱印
市バス 壬生寺道(四条大宮から西方面 次のバス停)のすぐそばにある 梛神社。境内に 隼神社も祀られています。節分祭(2/2~2/3)で 御朱印もカラー紙に金文字の特別御朱印と通常のものをいただきました。
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