巣鴨猿田彦大神庚申堂(巣鴨庚申堂)
注目スコア
38
創建
1502(文亀2)年
位置
巣鴨猿田彦大神庚申堂(すがも さるたひこのおおかみ こうしんどう)は東京都豊島区巣鴨4-35-1の庚申堂。
1502(文亀2)年、高さ八尺(約2.4m)の庚申塔を当地に造立したのが創祀とされる。
1657(明暦3)年、明暦の大火(振り袖火事)が発生し、当地には上州・秩父・川越方面より復興に使用される木材が多く集積された。ある時、庚申堂の碑に立て掛けられた竹木が重心を失って倒れ、庚申塔に当り、塔は五つに砕けてしまった。村中で協議し、丈を縮めた塔を再建し、砕けた塔はその塚の土中に埋めた。
明治初期には千葉県銚子市の猿田神社の御分霊を勧請した。
1933(昭和8)年、御大典記念として大塚天祖神社の社殿が新築され、その余財の一部で町会事務所を併設した庚申堂本堂が改築されたが、1945(昭和20)年に戦災で焼失。戦後の1949(昭和24)年、榎本留吉氏によって仮庚申堂本堂が再建された。
1502(文亀2)年、高さ八尺(約2.4m)の庚申塔を当地に造立したのが創祀とされる。
1657(明暦3)年、明暦の大火(振り袖火事)が発生し、当地には上州・秩父・川越方面より復興に使用される木材が多く集積された。ある時、庚申堂の碑に立て掛けられた竹木が重心を失って倒れ、庚申塔に当り、塔は五つに砕けてしまった。村中で協議し、丈を縮めた塔を再建し、砕けた塔はその塚の土中に埋めた。
明治初期には千葉県銚子市の猿田神社の御分霊を勧請した。
1933(昭和8)年、御大典記念として大塚天祖神社の社殿が新築され、その余財の一部で町会事務所を併設した庚申堂本堂が改築されたが、1945(昭和20)年に戦災で焼失。戦後の1949(昭和24)年、榎本留吉氏によって仮庚申堂本堂が再建された。
巣鴨猿田彦大神庚申堂 参拝写真
写真追加更新日:2018年07月30日(オリジナル取材写真)
巣鴨猿田彦大神庚申堂 参拝一言コメント
巣鴨地蔵通り商店街の終点近く、庚申塚駅すぐ南。神社ともお寺ともつかない作りで、門を潜ると狛犬ならぬ狛猿が。正面に小祠が祀られています。
いかにも民間信仰という感じの地に足の着いた庶民的な空間でした。
地図表示位置は正確ではない場合があります
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