明王院即清寺(愛宕山 そくせいじ)
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宗派
明王院即清寺は東京都青梅市柚木町1-4-1の真言宗豊山派寺院。
本尊:不空羂索明王
真言:おんはんどまたらあぼきゃじゃやでいしゅろしゅろそわか
御詠歌:そまのほの やまべのみちを たずぬれば すくいたまわん じひのけんざく
寺伝では、平安時代のはじめ智証大師円珍が、諸国巡錫のおりに、堂山と呼ばれる現在の奥ノ院大師堂の辺りに、本尊、不空羂索明王像を刻んで草堂を結んだのが始まりとされている。本尊は三面四臂の憤怒形で、不空羂索観音の慈悲と明王の諸魔降伏の力を併せ持つとされる。
その後、鎌倉時代に源頼朝が畠山重忠に命じて、現在地に伽藍を造営して、元瑜僧正を招いて開山した。
室町期には高野山無量光院住持を勤めた印融法印により中興され、真言道場として栄えた。仙保隠遁抄第一巻はその時の著作といわれる。明治三十一年の火災で建物はすべて焼失したが、庫裡客殿、本堂、山門と再建され現在にいたる。本尊をはじめ仏像は被災を免れ、本堂内には百観音と呼ばれる享保年間造立の百体の観音像が祀られている。大日如来を中心に花鳥風月をちりばめた天井画は平成の作であるが、西洋画家二人と日本画家一人の合作という珍しいものである。また、山門は二天門の形式で、鎧に身を固めた多聞天、持国天が安置されている。
関東八十八ヵ所霊場 第71番霊場
本尊:不空羂索明王
真言:おんはんどまたらあぼきゃじゃやでいしゅろしゅろそわか
御詠歌:そまのほの やまべのみちを たずぬれば すくいたまわん じひのけんざく
寺伝では、平安時代のはじめ智証大師円珍が、諸国巡錫のおりに、堂山と呼ばれる現在の奥ノ院大師堂の辺りに、本尊、不空羂索明王像を刻んで草堂を結んだのが始まりとされている。本尊は三面四臂の憤怒形で、不空羂索観音の慈悲と明王の諸魔降伏の力を併せ持つとされる。
その後、鎌倉時代に源頼朝が畠山重忠に命じて、現在地に伽藍を造営して、元瑜僧正を招いて開山した。
室町期には高野山無量光院住持を勤めた印融法印により中興され、真言道場として栄えた。仙保隠遁抄第一巻はその時の著作といわれる。明治三十一年の火災で建物はすべて焼失したが、庫裡客殿、本堂、山門と再建され現在にいたる。本尊をはじめ仏像は被災を免れ、本堂内には百観音と呼ばれる享保年間造立の百体の観音像が祀られている。大日如来を中心に花鳥風月をちりばめた天井画は平成の作であるが、西洋画家二人と日本画家一人の合作という珍しいものである。また、山門は二天門の形式で、鎧に身を固めた多聞天、持国天が安置されている。
関東八十八ヵ所霊場 第71番霊場
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