龍造寺八幡宮(佐賀八幡神社)
注目スコア
26
種別
御祭神
創建
(伝)文治3年(1187年)
位置
龍造寺八幡宮(りゅうぞうじはちまんぐう)は、佐賀県佐賀市白山一丁目にある神社。旧社格は郷社。
応神天皇を主神、天児屋命と住吉三神を相殿神(配神)として祭る。創建は『県神社志要』によれば1187年(文治3年)とされ、龍造寺氏の祖である南次郎季家が佐賀龍造寺村の地頭職となった後に、相模の鶴岡八幡宮を分霊したとされる。創建当時は同氏の本拠地である村中城本丸内にあったが、慶長年間、鍋島勝茂による佐賀築城の際に現在地近くに遷座した。以来この地は八幡小路と呼ばれたが、1901年(明治34年)頃に境内を北方へ拡張移転したため、現住所は八幡小路ではなくなっている。
龍造寺八幡宮は龍造寺・鍋島両氏の崇敬を集め、慶長9年(1604年)の刻銘を持つ肥前鳥居(佐賀市重要文化財)は鍋島直茂夫人藤女(陽泰院)が献納した。古文書・宝物類も多数あったが、1874年(明治7年)の佐賀の乱の兵火にかかり焼失し、現在は北部九州の大小諸豪族の氏名、宰領町数などが記載された『龍造寺隆信公着到状』など少数が残っている。
神紋は八幡神社ならではの巴紋ではなく、龍造寺氏の十二日足紋と鍋島氏の杏葉紋であることが、神社の性格をよく表していると評されている。
応神天皇を主神、天児屋命と住吉三神を相殿神(配神)として祭る。創建は『県神社志要』によれば1187年(文治3年)とされ、龍造寺氏の祖である南次郎季家が佐賀龍造寺村の地頭職となった後に、相模の鶴岡八幡宮を分霊したとされる。創建当時は同氏の本拠地である村中城本丸内にあったが、慶長年間、鍋島勝茂による佐賀築城の際に現在地近くに遷座した。以来この地は八幡小路と呼ばれたが、1901年(明治34年)頃に境内を北方へ拡張移転したため、現住所は八幡小路ではなくなっている。
龍造寺八幡宮は龍造寺・鍋島両氏の崇敬を集め、慶長9年(1604年)の刻銘を持つ肥前鳥居(佐賀市重要文化財)は鍋島直茂夫人藤女(陽泰院)が献納した。古文書・宝物類も多数あったが、1874年(明治7年)の佐賀の乱の兵火にかかり焼失し、現在は北部九州の大小諸豪族の氏名、宰領町数などが記載された『龍造寺隆信公着到状』など少数が残っている。
神紋は八幡神社ならではの巴紋ではなく、龍造寺氏の十二日足紋と鍋島氏の杏葉紋であることが、神社の性格をよく表していると評されている。
地図表示位置は正確ではない場合があります
龍造寺八幡宮 御朱印画像
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社(通称:楠公さん)は 前記事の龍造寺八幡宮と同じ敷地内に鎮座されています。元禄五年(1692年)徳川光圀(水戸黄門)が湊川建碑に先立つこと 2天皇を助けたとされています。 ✱御朱印✱ こちらも書置きをいただきました
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