成願寺(多宝山 たほうざん 中野長者の寺)
注目スコア
24
宗派
創建
永享10年(1438年)
中野長者の寺
成願寺(じょうがんじ)は、東京都中野区本町二丁目にある曹洞宗の寺院。山号は多宝山(たほうざん)。中野長者(なかのちょうじゃ)と呼ばれた鈴木九郎の寺として知られる。
紀州出身で室町時代に当地にやってきた鈴木九郎は商売が成功し、財を成し「中野長者」と呼ばれ、成願寺付近に邸宅を構えていた。小笹という一人娘がいたが18歳で病死し、これを機に残りの人生を仏門に生きる決意をし、小田原の大雄山最乗寺の春屋宗能の教えを受け名を正蓮に改め僧侶となり、邸宅を寺院にした。これが当院の始まりとなる。
名は娘の戒名から当初は正観寺となっていたが、江戸時代に成願寺と改められる。幕末には一時、新撰組の近藤勇とその家族が当寺院に身を寄せていた。
明治時代に神仏分離令により十二社(現:新宿区西新宿)の熊野神社が分離され、現在に至っている。
紀州出身で室町時代に当地にやってきた鈴木九郎は商売が成功し、財を成し「中野長者」と呼ばれ、成願寺付近に邸宅を構えていた。小笹という一人娘がいたが18歳で病死し、これを機に残りの人生を仏門に生きる決意をし、小田原の大雄山最乗寺の春屋宗能の教えを受け名を正蓮に改め僧侶となり、邸宅を寺院にした。これが当院の始まりとなる。
名は娘の戒名から当初は正観寺となっていたが、江戸時代に成願寺と改められる。幕末には一時、新撰組の近藤勇とその家族が当寺院に身を寄せていた。
明治時代に神仏分離令により十二社(現:新宿区西新宿)の熊野神社が分離され、現在に至っている。
成願寺 参拝写真
写真追加更新日:2018年04月23日(オリジナル取材写真)
成願寺 参拝一言コメント
中野坂上駅南方、山手通り沿い。中野長者橋の北方ですが、その中野長者の由来となった寺院です。大富豪の商人だったのが娘さんが亡くなり仏門に入ったとのこと。中華風?の山門をくぐると広い境内に本堂のほか洗心閣、長者閣、円通閣などの堂宇が並びます。馬頭観音が安置され、山門近くにあるほほえみ観音もユニークで印象的でした。寺院なのですが木々が茂る落ち着いた雰囲気は少し神社的でもあり、神仏分離令以前は新宿十二社熊野神社
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