大滝山西照神社
注目スコア
14
御祭神
パワースポット
位置
西照神社(にしてるじんじゃ)は、徳島県美馬市にある神社。式内小社。旧社格は郷社。祭神は主神が月読尊、配神が田寸津姫命、田心姫命、市杵島姫命。
徳島県美馬市と香川県高松市の境に位置する大滝山山頂(946m)にある。延喜式神名帳に記された田寸神社(たきじんじゃ)の論社となっている。
社伝によれば、夜の食国(よるのおすくに)を統治する月読尊が、大和国方面の監視役として田寸津姫命を大滝山に遣わし、ここから瀬戸内海の監視をさせたことが当神社の起源であるとする。
平安時代前期に空海がこの山に籠もって修行を行い、西照大権現を安置したことにより神仏混淆の山岳道場となったと言われる。
以降、明治時代に至るまで「西照権現」と称した。江戸時代には徳島藩家老稲田氏の崇敬を受け社領として9石8斗を寄進され、また高松藩主の祈願所として50石が営繕費として寄進された。
明治初期の神仏分離令により神社と寺院(大瀧寺)に分離された。明治6年(1873年)西照神社と改称され郷社に列した。
徳島県美馬市と香川県高松市の境に位置する大滝山山頂(946m)にある。延喜式神名帳に記された田寸神社(たきじんじゃ)の論社となっている。
社伝によれば、夜の食国(よるのおすくに)を統治する月読尊が、大和国方面の監視役として田寸津姫命を大滝山に遣わし、ここから瀬戸内海の監視をさせたことが当神社の起源であるとする。
平安時代前期に空海がこの山に籠もって修行を行い、西照大権現を安置したことにより神仏混淆の山岳道場となったと言われる。
以降、明治時代に至るまで「西照権現」と称した。江戸時代には徳島藩家老稲田氏の崇敬を受け社領として9石8斗を寄進され、また高松藩主の祈願所として50石が営繕費として寄進された。
明治初期の神仏分離令により神社と寺院(大瀧寺)に分離された。明治6年(1873年)西照神社と改称され郷社に列した。
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大滝山西照神社 御朱印画像
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