十二所神社
注目スコア
8
種別
創建
1278年(弘安元年)
位置
十二所神社は神奈川県鎌倉市十二所285の神社。
十二所神社(じゅうにそうじんじゃ)は十二所の鎮守社。中世には三浦十二天(『吾妻鏡』)、近世期には十二天社(『新編相模国風土記稿』)・十二天明神社、または熊野十二所権現社とも称された。
創建年代は定かではなく、弘安元年(1278年)との伝承があるが、寿永元年(1182年)8月11日の条には北条政子の出産に際して、奉幣使が派遣されたとの記述が(『吾妻鏡』)、さらに8月13日の条には十二所神社のほか諸社に源頼家誕生を祝って神馬を奉納した旨が記されている(『吾妻鏡』)ことなどから、遅くとも12世紀末までには確立していたと見られる。
古くは、現在の光触寺境内にあったと伝えられる(『新編相模国風土記稿』)が、天保9年(1838年)に現在地に再建された。当時、別当寺院を務めていた明王院所蔵の記録『十二所権現社再建記』によると、この再建事業は、氏子三十余軒による土地・用材の寄進と土木開墾の奉仕によるものであるという。
明治新政府の神仏分離政策や廃仏毀釈の動きにより現社名に改称され、1837年(明治6年)、十二所地区の鎮守として村社に列せられた。
十二所神社(じゅうにそうじんじゃ)は十二所の鎮守社。中世には三浦十二天(『吾妻鏡』)、近世期には十二天社(『新編相模国風土記稿』)・十二天明神社、または熊野十二所権現社とも称された。
創建年代は定かではなく、弘安元年(1278年)との伝承があるが、寿永元年(1182年)8月11日の条には北条政子の出産に際して、奉幣使が派遣されたとの記述が(『吾妻鏡』)、さらに8月13日の条には十二所神社のほか諸社に源頼家誕生を祝って神馬を奉納した旨が記されている(『吾妻鏡』)ことなどから、遅くとも12世紀末までには確立していたと見られる。
古くは、現在の光触寺境内にあったと伝えられる(『新編相模国風土記稿』)が、天保9年(1838年)に現在地に再建された。当時、別当寺院を務めていた明王院所蔵の記録『十二所権現社再建記』によると、この再建事業は、氏子三十余軒による土地・用材の寄進と土木開墾の奉仕によるものであるという。
明治新政府の神仏分離政策や廃仏毀釈の動きにより現社名に改称され、1837年(明治6年)、十二所地区の鎮守として村社に列せられた。
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