田端神社
注目スコア
8
創建
応永年間(1394年~1427年)
位置
近隣史跡がぎゅっと濃縮、両部鳥居がかっこいい
田端神社(たばたじんじゃ)は、東京都杉並区荻窪にある神社。
応永年間(1394年~1427年)に足利持氏と上杉禅秀が争った際、品川左京の家臣良影という者がこの地に土着し、京都の北野神社の分霊を祀ったことに始まると伝えられる。かつては北野天神社とも呼ばれた。
明治42年(1909年)、田端村にあった小名関口の天祖神社(神明社)、稲荷社、小名高野ヶ谷戸の子ノ権現社、小名日性寺の山神社を合祀。明治44年(1911年)に田端神社に改称した。
御祭神の大国主命は足痛・腰痛に霊験があると言われている。
境内にある庚申塔は延宝5年(1677年)、享保3年(1718年)の銘がり、かっては隣接した住宅地にあったが、宅地造成により神社内に遷移された。
境内社に稲荷神社、御嶽神社がある。稲荷社は元近衛文麿邸(現・荻外荘公園)に奉斎されていたもので、戦後当社に遷された。力石や庚申塔を備える。
応永年間(1394年~1427年)に足利持氏と上杉禅秀が争った際、品川左京の家臣良影という者がこの地に土着し、京都の北野神社の分霊を祀ったことに始まると伝えられる。かつては北野天神社とも呼ばれた。
明治42年(1909年)、田端村にあった小名関口の天祖神社(神明社)、稲荷社、小名高野ヶ谷戸の子ノ権現社、小名日性寺の山神社を合祀。明治44年(1911年)に田端神社に改称した。
御祭神の大国主命は足痛・腰痛に霊験があると言われている。
境内にある庚申塔は延宝5年(1677年)、享保3年(1718年)の銘がり、かっては隣接した住宅地にあったが、宅地造成により神社内に遷移された。
境内社に稲荷神社、御嶽神社がある。稲荷社は元近衛文麿邸(現・荻外荘公園)に奉斎されていたもので、戦後当社に遷された。力石や庚申塔を備える。
田端神社 参拝写真
写真追加更新日:2018年07月28日(オリジナル取材写真)
田端神社 参拝一言コメント
荻窪駅と浜田山駅の間、南阿佐ヶ谷駅南西方向、どの駅からも遠いですが善福寺川緑地の近くで好環境。思ったより規模が大きく一の鳥居の後に桜並木が続き、その先に二ノ鳥居?の両部鳥居が。合祀された稲荷社より移されたものだそうです。
この鳥居をくぐるとすぐ左手に庚申塔があります。これも付近の住宅地から造成に伴い移されたもの。
これに続く神輿庫が一部ガラス張りで中が見られるのもユニークです。
神明造の現社殿は1908(明治41)年の造替。
拝殿左手に稲荷社があるのですが、参拝時は工事中なのかお社が外された状態で鳥居とお狐さまだけがいらっしゃいました。
拝殿右手に向かって金色鳥居の御嶽神社が祀られていて、その隣には立派な神楽殿もあります。
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