大森山王熊野神社(荒藺ヶ崎熊野神社)
注目スコア
43
種別
位置
義民六人衆霊場の奥、急な石段の先に霊域が
大森山王熊野神社は東京都大田区山王三丁目43番11号の神社。善慶寺山門の奥に位置する。
創建年代不詳ながら、平将門の乱の鎮圧に下向した藤原恒望に従った熊野五郎武通が当社に戦勝を祈願したと伝えられる。元和年間(1615-1624)にこの地域新井宿村の地頭木原木工允が日光造営の棟梁を務めた際、その余材で当社の社殿を造営したという。この本殿が現社殿の本殿内に納められおり、大田区内最古の神社建築だという。明治10年に村社に列格した。
参道女坂の中腹に衆善稲荷神社が鎮座する。もと別当寺の善慶寺の稲荷堂として三十番神を祀っていたという。かつては小祠の疱瘡社と天神社もあったが、現在は衆善稲荷に合祀されている。
拝殿左脇には文久元(1861)年銘の狐碑、文化14(1817)年造の庚申塔などが見られる。
「土中に埋もれた庚申様を掘り出して欲しい」夢のお告げを受けた老婦人が宮司に申し出、探したところ男坂の脇に庚申塔が埋まっていたという。
創建年代不詳ながら、平将門の乱の鎮圧に下向した藤原恒望に従った熊野五郎武通が当社に戦勝を祈願したと伝えられる。元和年間(1615-1624)にこの地域新井宿村の地頭木原木工允が日光造営の棟梁を務めた際、その余材で当社の社殿を造営したという。この本殿が現社殿の本殿内に納められおり、大田区内最古の神社建築だという。明治10年に村社に列格した。
参道女坂の中腹に衆善稲荷神社が鎮座する。もと別当寺の善慶寺の稲荷堂として三十番神を祀っていたという。かつては小祠の疱瘡社と天神社もあったが、現在は衆善稲荷に合祀されている。
拝殿左脇には文久元(1861)年銘の狐碑、文化14(1817)年造の庚申塔などが見られる。
「土中に埋もれた庚申様を掘り出して欲しい」夢のお告げを受けた老婦人が宮司に申し出、探したところ男坂の脇に庚申塔が埋まっていたという。
大森山王熊野神社 参拝写真
写真追加更新日:2018年05月10日(オリジナル取材写真)
大森山王熊野神社 参拝一言コメント
大森駅南西、環七と池上通りがぶつかる春日橋交差点北方です。善慶寺の境内を通った奥に鳥居、そこから急な石段を上って参拝します。石段途中の斜面右手には衆善稲荷神社。境内は巨樹が茂り霊域の凄みがあります。庚申塔は夢のお告げを受けて掘り出されたとか。善慶寺と共に義民六人衆ゆかりの地です。
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