野辺地八幡宮
注目スコア
17
御祭神
創建
慶長3年(1598)
位置
野辺地八幡宮は青森県上北郡野辺地町の神社。
創建は慶長3年(1598)に勧請されたのが始まりと伝えられ、以来、野辺地の総鎮守として広く信仰されてきた。正徳4年(1714)に盛岡藩第6代南部利幹の許可を得て本殿が再建され、天保14年(1843)に拝殿が再建された。
古くから神仏習合し、別当寺院だった成就院が祭祀を司り、関が原の戦いの落ち武者だった林善成が修験僧となり、代々継いでいる。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治5年(1872)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進社に指定されている。現在の本殿は正徳4年(1714)に債権された当時のもので一間社流造、とち葺、平入、正面1間向拝付、向拝木鼻には象、脇障子には中国故事など各所に繊細な彫刻が施されている。野辺地八幡宮本殿は江戸時代中期の神社建築のありさまを示す貴重な遺構として平成9年(1997)に青森県重宝に指定されている。
境内には末社である金比羅宮があり、文政5年(1822)に建立された本殿が同じく青森県重宝に指定されている。拝殿は平成4年(1992)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、桁行6間、正面1間軒唐破風向拝付。
創建は慶長3年(1598)に勧請されたのが始まりと伝えられ、以来、野辺地の総鎮守として広く信仰されてきた。正徳4年(1714)に盛岡藩第6代南部利幹の許可を得て本殿が再建され、天保14年(1843)に拝殿が再建された。
古くから神仏習合し、別当寺院だった成就院が祭祀を司り、関が原の戦いの落ち武者だった林善成が修験僧となり、代々継いでいる。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治5年(1872)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進社に指定されている。現在の本殿は正徳4年(1714)に債権された当時のもので一間社流造、とち葺、平入、正面1間向拝付、向拝木鼻には象、脇障子には中国故事など各所に繊細な彫刻が施されている。野辺地八幡宮本殿は江戸時代中期の神社建築のありさまを示す貴重な遺構として平成9年(1997)に青森県重宝に指定されている。
境内には末社である金比羅宮があり、文政5年(1822)に建立された本殿が同じく青森県重宝に指定されている。拝殿は平成4年(1992)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、桁行6間、正面1間軒唐破風向拝付。
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