乗運寺(千本山)
注目スコア
7
宗派
乗運寺は静岡県沼津市出口町335-1の浄土宗寺院。
浄土宗京都知恩院の末寺で三枚橋城主松平康親、沼津城主水野忠友の菩提所でもある。
旅の僧(長円)が土地の人々が潮風の害に苦しんでいる姿を見てお経を唱えながら松苗を植え続けたことを讃え、時に天文6年(1537)に草庵を建てられた。初め成鳴寺と称したが、乗運寺と変わり、現在に至っている。
天正8年(1580)武田勝頼が北条氏政と対峙するため、兵を率いて浮島原に本陣を置き、北条方の伏兵に備えて千本松原の松を伐り倒させたため、土地の人々が被害を受け難儀をしていたのを、巡錫中の長円が心を動かされて松苗を植えたという説もある。ただ、伝えられる増誉上人の没年(天正8年)から考えると、増誉上人の植樹と関係のある合戦は、天文6~23年(1537~54)にこの地域で繰り広げられた、後北条氏と今川・武田氏による「河東一乱」と考えられる。
寺にはこのほか、千本松原をこよなく愛した歌人・若山牧水の墓、寺内で「斯道会」という漢文の講座を開いていたという池谷観海の碑などもある。
浄土宗京都知恩院の末寺で三枚橋城主松平康親、沼津城主水野忠友の菩提所でもある。
旅の僧(長円)が土地の人々が潮風の害に苦しんでいる姿を見てお経を唱えながら松苗を植え続けたことを讃え、時に天文6年(1537)に草庵を建てられた。初め成鳴寺と称したが、乗運寺と変わり、現在に至っている。
天正8年(1580)武田勝頼が北条氏政と対峙するため、兵を率いて浮島原に本陣を置き、北条方の伏兵に備えて千本松原の松を伐り倒させたため、土地の人々が被害を受け難儀をしていたのを、巡錫中の長円が心を動かされて松苗を植えたという説もある。ただ、伝えられる増誉上人の没年(天正8年)から考えると、増誉上人の植樹と関係のある合戦は、天文6~23年(1537~54)にこの地域で繰り広げられた、後北条氏と今川・武田氏による「河東一乱」と考えられる。
寺にはこのほか、千本松原をこよなく愛した歌人・若山牧水の墓、寺内で「斯道会」という漢文の講座を開いていたという池谷観海の碑などもある。
地図表示位置は正確ではない場合があります
乗運寺 御朱印画像
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