二十三夜尊桂岸寺(大悲山 保和院 ぴんころ地蔵尊)
注目スコア
34
宗派
創建
天和2年(1682年)
桂岸寺は茨城県水戸市松本町13-19の真言宗豊山派寺院。大悲山保和院と号する。地元では水戸谷中の二十三夜尊として親しまれる。御本尊は勢至菩薩で、行基の作と伝えられる。
天和2年(1682年)檀海和尚の開山で、元は水戸市全隈町にあった普門寺を、中山備前守信治が小松寺住職宥密(ゆうみつ)を説いて水戸藩家老中山信正の供養のため譲り受け現在の地に建立した。
当初は香華院(こうげいん)と称したが、元禄7年(1694年)、徳川光圀公の命令により保和院と改称。宝暦5年(1755年) に現寺号を称し、密法流通の道場として京都御室仁和寺末(おむろにんなじまつ)となり、律宗も兼ねる1寺2律の類例のない修験場となった。
明治11年(1878年)、火災により旧伽藍が類焼するも、その後本堂・仁王門・愛染堂などが再建された。
平成19年11月23日には、「ぴんぴんと元気に天寿を全うし、ころりと大往生をとげる」ことにご利益があると言われる新しい延命地蔵尊(愛称ぴんころ地蔵尊)が建立された。
天和2年(1682年)檀海和尚の開山で、元は水戸市全隈町にあった普門寺を、中山備前守信治が小松寺住職宥密(ゆうみつ)を説いて水戸藩家老中山信正の供養のため譲り受け現在の地に建立した。
当初は香華院(こうげいん)と称したが、元禄7年(1694年)、徳川光圀公の命令により保和院と改称。宝暦5年(1755年) に現寺号を称し、密法流通の道場として京都御室仁和寺末(おむろにんなじまつ)となり、律宗も兼ねる1寺2律の類例のない修験場となった。
明治11年(1878年)、火災により旧伽藍が類焼するも、その後本堂・仁王門・愛染堂などが再建された。
平成19年11月23日には、「ぴんぴんと元気に天寿を全うし、ころりと大往生をとげる」ことにご利益があると言われる新しい延命地蔵尊(愛称ぴんころ地蔵尊)が建立された。
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二十三夜尊桂岸寺 御朱印画像
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