大悲王院(千如寺 雷山観音)
注目スコア
31
宗派
創建
(伝)神亀2年(725年)
パワースポット
千如寺(せんにょじ)は、福岡県糸島市にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は雷山。本尊は千手観音で、千如寺大悲王院(せんにょじだいひおういん)、雷山観音(らいざんかんのん)とも称される。宗教法人としての名称は大悲王院。
寺伝によれば、神亀2年(725年)天竺(インド)から渡来の僧清賀が聖武天皇の勅願を受けて開山したという。
北に玄界灘を臨む位置にあるため、鎌倉時代には元寇に対する最前線の祈祷寺院として幕府より期待が寄せられていた。最盛期には300の僧坊があったと伝えられている。千如寺はこの僧坊の総称であり、また中宮(現雷神社)横にあった仲之坊を指し、十一面千手千眼観世音菩薩(千手観音)も一山の本尊として同地にあった講堂に安置されていた。
その後室町から戦国の長い戦乱の中で僧坊は荒廃し、仲之坊を残すのみとなったが、宝暦3年(1573年)に福岡藩主の黒田継高によって大悲王院が創建された。県の天然記念物に指定されている大カエデも創建の記念に継高が植樹したと伝えられている。
また雷山は水火雷電神、すなわち雷神を祀る中宮のほか、上宮、下宮がありその三宮を司っていたのが千如寺であり、江戸時代までは神仏習合の山であった。しかし明治維新の神仏分離令により中宮にあった仲之坊は廃寺となり、本尊をはじめすべての仏像、古文書などは大悲王院に移された。
境内には、福岡県指定天然記念物である樹齢約400年といわれる大カエデがあるなど、紅葉の名所として有名である。
寺伝によれば、神亀2年(725年)天竺(インド)から渡来の僧清賀が聖武天皇の勅願を受けて開山したという。
北に玄界灘を臨む位置にあるため、鎌倉時代には元寇に対する最前線の祈祷寺院として幕府より期待が寄せられていた。最盛期には300の僧坊があったと伝えられている。千如寺はこの僧坊の総称であり、また中宮(現雷神社)横にあった仲之坊を指し、十一面千手千眼観世音菩薩(千手観音)も一山の本尊として同地にあった講堂に安置されていた。
その後室町から戦国の長い戦乱の中で僧坊は荒廃し、仲之坊を残すのみとなったが、宝暦3年(1573年)に福岡藩主の黒田継高によって大悲王院が創建された。県の天然記念物に指定されている大カエデも創建の記念に継高が植樹したと伝えられている。
また雷山は水火雷電神、すなわち雷神を祀る中宮のほか、上宮、下宮がありその三宮を司っていたのが千如寺であり、江戸時代までは神仏習合の山であった。しかし明治維新の神仏分離令により中宮にあった仲之坊は廃寺となり、本尊をはじめすべての仏像、古文書などは大悲王院に移された。
境内には、福岡県指定天然記念物である樹齢約400年といわれる大カエデがあるなど、紅葉の名所として有名である。
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大悲王院 御朱印画像
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雷山千如寺 大悲王院 参 パンフレットのコピーです。 十一面千手千眼観世音菩薩 ご本尊をま薩 ご本尊をまじかに拝むことができます。 とてもありがたい気持ちになりました。 御朱印 では、中へ参りましょう。
370.htmlその翌日2月25日に糸島市の雷山 千如寺大悲王院に行った件。雷山の山腹にある寺院で千如寺と大雷神像がいてらっしゃるのが記憶に残りました。御朱印とパンフレットです。本堂の裏手から渡り廊下を歩いて開山堂に
こうと思ってて今ごろになっちゃった福岡県糸島にある千如寺大悲王院。このお寺の庭園の紅葉が素晴らしく、今年も行。五百羅漢『心』という字になってる池。綺麗な御朱印帳があったので購入。写真よりもう少し薄いピンクがキラキラし
ました。こんか感じで焼いてます。その後糸島の雷山千如寺 大悲王院へ初めてで知りませんでしたが山の中の、特に雨まだまだ緑色です。紅葉時に訪れたいものです。御朱印ハート♥️楽しい日帰り旅行でした。そして、そのまま反省会と
いきます。↓ この県道564号線道路を上がると雷山千如寺大悲王院にいく ↓ 千和寺大悲王院に到着 第、そこまでは無料で入れます。ここで納経書・に御朱印-を戴きました。更に奥には仕切り部屋があって中では10数名
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