慈恩寺(瑞宝山本山慈恩寺 瑞宝山)
注目スコア
41
宗派
創建
伝神亀元年(724年)
慈恩寺(じおんじ)は、山形県寒河江市にある仏教寺院で現在は慈恩宗の本山。山号は瑞宝山。宗教法人としての登録名は「本山慈恩寺」。
行基によって見いだされ、聖武天皇の勅によって創建したとされる。その後、鳥羽天皇の勅で再建され後白河法皇と源頼朝によって山号を与えられた。平安時代は荘園主である藤原摂関家から、鎌倉時代から室町時代にかけては地頭・寒河江大江氏の庇護を受け、寒河江大江氏が滅ぶと最上氏や江戸幕府によって寺領を認められた。
江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たず、明治の上知令により一山は困窮し帰農する坊が続出した。現在は3ヵ院17坊を伝える。
本尊は弥勒菩薩で脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する国内でも珍しい五尊形式である。創建当初八幡大菩薩を鎮守として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称する。
境内地は周囲の中世城館群や行場などとともに2014年10月に国の史跡に指定された。
東北三十六不動尊霊場 1番
行基によって見いだされ、聖武天皇の勅によって創建したとされる。その後、鳥羽天皇の勅で再建され後白河法皇と源頼朝によって山号を与えられた。平安時代は荘園主である藤原摂関家から、鎌倉時代から室町時代にかけては地頭・寒河江大江氏の庇護を受け、寒河江大江氏が滅ぶと最上氏や江戸幕府によって寺領を認められた。
江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たず、明治の上知令により一山は困窮し帰農する坊が続出した。現在は3ヵ院17坊を伝える。
本尊は弥勒菩薩で脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する国内でも珍しい五尊形式である。創建当初八幡大菩薩を鎮守として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称する。
境内地は周囲の中世城館群や行場などとともに2014年10月に国の史跡に指定された。
東北三十六不動尊霊場 1番
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慈恩寺 御朱印画像
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