志和八幡宮
注目スコア
7
御祭神
創建
貞観4年(862)8月
位置
志和八幡宮は岩手県紫波郡紫波町上平沢字八幡73番の神社。
清和天皇の貞観4年(862)8月、東都男山八幡宮を勧請されたと伝えられている。
康平5年(1062)、鎮守府将軍源頼義朝臣長男八幡太郎義家が、奥賊誅伐のため志和の陣を発するにあたり志和八幡宮に戦勝を祈願したところ、白鳩が舞い遊ぶを見た。そのうち暴風が起こり、賊の城中から煙焔が立ちのぼり、その時閧の声を挙げて攻めたてたところ、遂に賊を平定した。義家戦勝報恩感謝のため正月未明に大篝火を焚き上げて戦勝を祝した。
その名残として今日も正月五日御勧日(また五元日ともいう)に社前に大篝火を焚き上げ、未明に盛大に祭典が行われている。
また南部領主の崇敬篤く、慶長年間(1596-1614)南部利直公より祀田四十三石四斗一升の寄進がなされ、その黒印状は紫波町の文化財として指定されている。
清和天皇の貞観4年(862)8月、東都男山八幡宮を勧請されたと伝えられている。
康平5年(1062)、鎮守府将軍源頼義朝臣長男八幡太郎義家が、奥賊誅伐のため志和の陣を発するにあたり志和八幡宮に戦勝を祈願したところ、白鳩が舞い遊ぶを見た。そのうち暴風が起こり、賊の城中から煙焔が立ちのぼり、その時閧の声を挙げて攻めたてたところ、遂に賊を平定した。義家戦勝報恩感謝のため正月未明に大篝火を焚き上げて戦勝を祝した。
その名残として今日も正月五日御勧日(また五元日ともいう)に社前に大篝火を焚き上げ、未明に盛大に祭典が行われている。
また南部領主の崇敬篤く、慶長年間(1596-1614)南部利直公より祀田四十三石四斗一升の寄進がなされ、その黒印状は紫波町の文化財として指定されている。
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