櫛引八幡宮
注目スコア
88
種別
御祭神
創建
伝・建久年間(1190-99年)
パワースポット
位置
櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)は、青森県八戸市にある神社(八幡宮)である。旧社格は郷社。境内は「八幡山」と呼ばれ、樹齢100年以上の老杉が立ち並ぶ。
本殿など5棟の社殿が重要文化財に指定され、国宝や重要文化財の甲冑なども境内国宝館において一般公開されている。
仁安元年(1166年)に加賀美遠光が甲州南部庄(現山梨県南部町一帯)に八幡神を勧請して創祀し、緋威の鎧を殿内に納めたという八幡宮に起源を持ち、文治5年(1189年)の奥州合戦で戦功をたてたその息南部光行(南部氏の始祖)が糠部5郡(八戸・三戸・下北・鹿角・下北)の領地を任されて建久2年(1191年)に入部した折に、六戸の瀧ノ沢村に社殿を造営して南部庄から八幡宮を遷座し、さらに貞応元年 (1222年) に櫛引村の現在地に遷座したという。社伝の『櫛引八幡宮縁起旧記』によれば、瀧ノ沢村への遷座に際しては津島平次郎という家臣が甲州へ遣わされ、同村に仮宮を営んだのも同人であった事から、その子孫である滝沢家が「鍵守」として祭祀に預かるようになったといい、また南部庄八幡宮の別当職であった宥鑁(ゆうばん)という僧も遷座に供奉し、当地に来住して普門院を開創、以後別当寺院として鍵守とともに祭祀を掌ったという。なお『櫛引八幡縁起』に、櫛引村には大同年間(806-10年)に坂上田村麻呂が創祀したという八幡宮の小社が鎮座していたためにそれと合祀したものともしている。その後は「櫛引八幡宮」として南部の総鎮守と崇められ、「南部一ノ宮」とも称された。
その後、建武年間に三戸南部家が衰退すると、当時陸奥国の国司代理として下向し、根城を築いた南部師行(根城南部氏4代目)が再興して南部氏の祈願所とした。
本殿など5棟の社殿が重要文化財に指定され、国宝や重要文化財の甲冑なども境内国宝館において一般公開されている。
仁安元年(1166年)に加賀美遠光が甲州南部庄(現山梨県南部町一帯)に八幡神を勧請して創祀し、緋威の鎧を殿内に納めたという八幡宮に起源を持ち、文治5年(1189年)の奥州合戦で戦功をたてたその息南部光行(南部氏の始祖)が糠部5郡(八戸・三戸・下北・鹿角・下北)の領地を任されて建久2年(1191年)に入部した折に、六戸の瀧ノ沢村に社殿を造営して南部庄から八幡宮を遷座し、さらに貞応元年 (1222年) に櫛引村の現在地に遷座したという。社伝の『櫛引八幡宮縁起旧記』によれば、瀧ノ沢村への遷座に際しては津島平次郎という家臣が甲州へ遣わされ、同村に仮宮を営んだのも同人であった事から、その子孫である滝沢家が「鍵守」として祭祀に預かるようになったといい、また南部庄八幡宮の別当職であった宥鑁(ゆうばん)という僧も遷座に供奉し、当地に来住して普門院を開創、以後別当寺院として鍵守とともに祭祀を掌ったという。なお『櫛引八幡縁起』に、櫛引村には大同年間(806-10年)に坂上田村麻呂が創祀したという八幡宮の小社が鎮座していたためにそれと合祀したものともしている。その後は「櫛引八幡宮」として南部の総鎮守と崇められ、「南部一ノ宮」とも称された。
その後、建武年間に三戸南部家が衰退すると、当時陸奥国の国司代理として下向し、根城を築いた南部師行(根城南部氏4代目)が再興して南部氏の祈願所とした。
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やかな鈴音が印象的でした参拝の行列も20分くらいでした。御朱印もいただきました大国さんと恵比寿さん岩手護国をいただきました美味しかった~最後に南部一宮櫛引八幡宮様神社巡りの締めくくりは八幡様何とも楽しい神社巡りでした
今日は櫛引八幡宮へ。なんだかんだで、まだ1月なのに3回目に。拝殿右側の林にカラスが沢山鳴いて神棚処分方法になっていますが、櫛引八幡宮では祈祷してから処分してくれる様です。ついでに、御朱印いただきました。今はどの神社仏閣へ行
訳ありませんずっとみたかった、はやぶさ➕こまち新函館北斗まで行くんですね~今までは新青森行きだったのに元旦に念願の櫛引八幡宮に初詣に行きました八幡馬の御朱印帳も無事購入新幹線は行きも帰りも爆睡していたので、なんともなく、あんなに
んて嘘みたいです。さて、せっかくなので…。昨日、甥っ子と御朱印をいただきに神社へ行って来ました。最初に、実。御朱印です。そして、八戸にある南部一之宮「櫛引八幡宮」へ。屋台がたくさん。御朱印がこれです。最後に「長者山神
(もちろん私も食べるけど)パブロフでお土産を買い…そして御朱印帳があと一ページになったので、最後を飾るのはます次なる新しい御朱印帳は、主人の故郷八戸の櫛引八幡宮さんの八幡馬のにしようと企み中姪っ子ちゃん優先なので、行
次はいわて銀河鉄道に乗りたいわ~八戸は…あんまり来たことなくてね~観光案内所のお世話になりました❤美術館に行く前に櫛引八幡宮に行って来たよ♪人がいなくて貸切り状態御朱印を頂きました❤❤❤続いて~蕪島神社にも行って来たよ♪蕪島神社
あとはジャンボタクシーを手配してくださっていたのでそれに乗りあちこち見学しました。蕪島に、葦毛崎展望台、種差海岸、櫛引八幡宮、八戸キャニオン、是川縄文館…御朱印帳も、2ページ分埋まりました。 途中ランチをして、最後には八食センタ
ました。こちら、青森県内3位の参拝客が訪れる八戸市にある櫛引八幡宮。町内にあるので、子供たちは通学路として毎朝の後にこちらをいただきました。神社で見つけた御朱印帳。近隣の神社案内もあったよ。今年は近場の御朱印を集めよ
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