加紫久利神社(加柴久利神社)
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6
位置
加紫久利神社(かしくりじんじゃ)は鹿児島県出水市下鯖町にある神社。
創始年は全く不明であるが、仁寿元年(851年)に官社に列し、貞観2年(860年)3月に従五位下から従五位上に昇った。『延喜式神名帳』では枚聞神社と共に名前が見え、薩摩国の神社として記載のあるただ2つの例の一つであった。そのため後世「薩摩二ノ宮」とも言われている(薩摩国は鎌倉時代以後、一宮が2社存在し二宮不詳)。
歴史のある神社であることから、その後この地の支配者となった島津氏の尊崇も厚かったが、明治10年(1877年)の西南戦争により全焼し、社殿はおろか歴代伝えた宝物すら失った。同13年(1880年)に社殿は再興されたものの、その後の新田開発などで境内を大きく浸食され、戦後には社殿崩壊の危機にまで瀕した。
創始年は全く不明であるが、仁寿元年(851年)に官社に列し、貞観2年(860年)3月に従五位下から従五位上に昇った。『延喜式神名帳』では枚聞神社と共に名前が見え、薩摩国の神社として記載のあるただ2つの例の一つであった。そのため後世「薩摩二ノ宮」とも言われている(薩摩国は鎌倉時代以後、一宮が2社存在し二宮不詳)。
歴史のある神社であることから、その後この地の支配者となった島津氏の尊崇も厚かったが、明治10年(1877年)の西南戦争により全焼し、社殿はおろか歴代伝えた宝物すら失った。同13年(1880年)に社殿は再興されたものの、その後の新田開発などで境内を大きく浸食され、戦後には社殿崩壊の危機にまで瀕した。
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加紫久利神社 御朱印画像
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。延喜式には薩摩国頴娃郡枚聞神社と今の枚聞の文字を用い、加紫久利神社と共に薩摩国式内社の一社として記載されている長庁前にも水盤が一基づつ置かれていましたよ。御朱印8時過ぎに宮司さんがいらしたので、早いとは思いましたが
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