明王院(飯盛山 五大堂)
注目スコア
197
宗派
創建
1231年(寛喜3年)
明王院(みょうおういん)は、神奈川県鎌倉市にある真言宗御室派の寺院。山号は飯盛山。寺号は寛喜寺。本尊は五大明王で、「五大堂」とも称される。鎌倉観音霊場の8番札所。
鎌倉市街地の東方、金沢街道から北に入り、滑川を渡った位置にある。この寺は、寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍藤原(九条)頼経によって発願された寺で、寺号の「寛喜寺」は発願の年号による。嘉禎元年(1235年)に落慶し鶴岡八幡宮別当の定豪が開山に迎えられた。
寺は寛永年間(1624 - 1644年)の火災で焼失し、その後再建されたものである。本尊として不動明王を中心とする五大明王像を安置するが、不動明王像のみが鎌倉時代のもので、他の4体は上記の火災後の造立である。不動明王像は作風から鎌倉時代の仏師・肥後別当定慶の作と推定されている。明王院は藤原頼経開基の寺院であるが、頼経の室・竹御所の一周忌の本尊仏を文暦2年(改元して嘉禎元年・1235年)5月、肥後法橋(定慶)が造立したことが『吾妻鏡』にみえ、頼経と定慶の関係を裏付けている。
鎌倉市街地の東方、金沢街道から北に入り、滑川を渡った位置にある。この寺は、寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍藤原(九条)頼経によって発願された寺で、寺号の「寛喜寺」は発願の年号による。嘉禎元年(1235年)に落慶し鶴岡八幡宮別当の定豪が開山に迎えられた。
寺は寛永年間(1624 - 1644年)の火災で焼失し、その後再建されたものである。本尊として不動明王を中心とする五大明王像を安置するが、不動明王像のみが鎌倉時代のもので、他の4体は上記の火災後の造立である。不動明王像は作風から鎌倉時代の仏師・肥後別当定慶の作と推定されている。明王院は藤原頼経開基の寺院であるが、頼経の室・竹御所の一周忌の本尊仏を文暦2年(改元して嘉禎元年・1235年)5月、肥後法橋(定慶)が造立したことが『吾妻鏡』にみえ、頼経と定慶の関係を裏付けている。
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明王院 御朱印画像
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真言宗 飯盛山 寛喜寺(明王院) **** 神奈川県鎌倉市十二所32 地図-https://go 寺院は過ごしやすく長居したい場所。 御朱印をいただく際ににも和やかに対応していただいた。 平成27年3月5日参拝
倉幕府の将軍の発願によって建立された、鎌倉市内に現存する唯一の寺院。鬼門の方で五大明王をおまつりしているのは明王院のみとの事。という事で、この先が禁止だったので、写真はこれのみ・御朱印はほぼ無人の寺院ですが僧侶はいる
いました。いったん204号線まで戻り、杉本寺・報国寺・浄妙寺さんなどの有名ど五大明王が祀られました。山門 鎌倉市掲示による瑞泉寺の縁起 表からの境内 明王院の御朱印 明王院の鎌倉三十三観音霊場8番御朱印 ③ 飯盛
のある浄明寺のバス停の先には、明王院や光触寺もありますので、何度も乗車してい 鎌倉竹の寺住所 鎌倉市浄明寺2-7-4 本堂迦葉堂鐘楼ために建てられた供養塔があります御朱印鎌倉十三佛 第八番の御朱印今頃は
鎌倉の十三佛霊場を巡り、御朱印をいただきました。昨年の12月に鎌倉に行き、浄妙寺と報国寺で御朱印はいただい九番札所 浄光明寺〔勢至菩薩〕第十番札所 来迎寺〔阿弥陀如来〕第十一番札所 覚園寺〔阿閦如来〕第十二番札
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