天竜寺(瑞雲山 天龍寺)
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0
宗派
創建
天正9年(1582)
天竜寺は東京都品川区南品川4-2-17の曹洞宗寺院。瑞雲山と号する。
一庭氷見和尚の創建と伝えられる。
本堂左手に「碑文谷踏切責任地蔵尊」がある。
大正七年(1918年)5月18日の深夜、ある銀行の行員が大崎の自宅に帰るため品川駅から人力車に乗り碑文谷仁王堂に入った。現在は隧道になっている碑文谷踏切では遮断棹が上がっていた。しかし下関行きの貨物列車が迫っており、人力車の車夫は慌てて逃げたが、客の行員は逃げ遅れ跳ね飛ばされ即死した。当直の踏切り番が二人いたが、一人が仮眠中で一人が居眠りをしていたため遮断棹を下ろさなかったのが原因だった。当時踏切り番は激務にもかかわらず朝7時交代の一昼夜勤務であったため、過労から居眠りが絶えなかった。二人は事故の責任を痛感し、事故の直後大井町駅寄りの線路上に身を伏せて命を絶った。碑文谷踏切責任地蔵尊はこの事故で亡くなった行員と踏切り番の供養のために造立されたものである。
天龍寺脇の碑文谷道には、京浜工業地帯発祥の地を偲ばせる古いレンガの遺構が散在している。
一庭氷見和尚の創建と伝えられる。
本堂左手に「碑文谷踏切責任地蔵尊」がある。
大正七年(1918年)5月18日の深夜、ある銀行の行員が大崎の自宅に帰るため品川駅から人力車に乗り碑文谷仁王堂に入った。現在は隧道になっている碑文谷踏切では遮断棹が上がっていた。しかし下関行きの貨物列車が迫っており、人力車の車夫は慌てて逃げたが、客の行員は逃げ遅れ跳ね飛ばされ即死した。当直の踏切り番が二人いたが、一人が仮眠中で一人が居眠りをしていたため遮断棹を下ろさなかったのが原因だった。当時踏切り番は激務にもかかわらず朝7時交代の一昼夜勤務であったため、過労から居眠りが絶えなかった。二人は事故の責任を痛感し、事故の直後大井町駅寄りの線路上に身を伏せて命を絶った。碑文谷踏切責任地蔵尊はこの事故で亡くなった行員と踏切り番の供養のために造立されたものである。
天龍寺脇の碑文谷道には、京浜工業地帯発祥の地を偲ばせる古いレンガの遺構が散在している。
天竜寺 参拝写真
写真追加更新日:2018年02月19日(オリジナル取材写真)
天竜寺 参拝一言コメント
京急新馬場駅南西。広い境内で今は静かですが、近代期の歴史も感じられます。踏切事故の悲しい逸話が残ります。
地図表示位置は正確ではない場合があります
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