原田王子神社
注目スコア
7
位置
原田王子神社は兵庫県神戸市灘区原田通三丁目8番43号の神社。
鎌倉時代初期に信濃国松本から移り住み、原田の地に根を下ろした松本忠公公が、1204(元久4)年に故郷の神・諏訪神社の健御名方尊を勧請し、現在の王子動物園の敷地内に神社を建立した。
1252(建長4)年に紀伊国熊野より若一王子神を勧請して合祀し「王子権現」と呼ばれるようになった。
1873(明治6)年には境内の約75%を神戸市に上地し、名称も「健御名方尊神社」と変更された。氏子からは地名にちなんで「原田神社」という通称で呼んでいたという。
1903(明治39)年5月、原田村に祀られていた「原田神社」に合祀。1931(昭和6)年には大規模な改築が行われて境内が整備され、戦後の1946(昭和21)年12月10日には、現在の名称である「王子神社」に改称された。
朱塗りの鳥居も整備された大瀧稲荷社(左)と、その参道に立っている歌碑(右)。
戦後の王子神社は神戸市の都市計画に翻弄されて移転を重ねます。1950(昭和25)年、神戸で日本貿易産業博覧会が開催されることになりました。湊川エリアと王子エリアが開催地に選ばれ、その会場として王子公園が作られることになりました。このため博覧会の前年の1949(昭和24)年、王子神社は境内地の約8割を市へ提供し、神社そのものも王子町1丁目へと遷されます。さらに1956(昭和31)年には兵庫県で国民体育大会が行われることになり、メインスタジアムとして王子公園内に陸上競技場(現在の王子スタジアム)が建設されることになったために再び王子神社は移転を余儀なくされました。1995(平成7)年1月17日に起こった阪神・淡路大震災で大きなダメージを受けましたが、2007(平成19)年には氏子の皆さんの御尽力によって社務所や社殿などが再建されました。社殿脇に建つ大滝稲荷神社も鮮やかな朱色に塗り替えられるなど、美しく生まれ変わる息吹が感じられる神社です。
鎌倉時代初期に信濃国松本から移り住み、原田の地に根を下ろした松本忠公公が、1204(元久4)年に故郷の神・諏訪神社の健御名方尊を勧請し、現在の王子動物園の敷地内に神社を建立した。
1252(建長4)年に紀伊国熊野より若一王子神を勧請して合祀し「王子権現」と呼ばれるようになった。
1873(明治6)年には境内の約75%を神戸市に上地し、名称も「健御名方尊神社」と変更された。氏子からは地名にちなんで「原田神社」という通称で呼んでいたという。
1903(明治39)年5月、原田村に祀られていた「原田神社」に合祀。1931(昭和6)年には大規模な改築が行われて境内が整備され、戦後の1946(昭和21)年12月10日には、現在の名称である「王子神社」に改称された。
朱塗りの鳥居も整備された大瀧稲荷社(左)と、その参道に立っている歌碑(右)。
戦後の王子神社は神戸市の都市計画に翻弄されて移転を重ねます。1950(昭和25)年、神戸で日本貿易産業博覧会が開催されることになりました。湊川エリアと王子エリアが開催地に選ばれ、その会場として王子公園が作られることになりました。このため博覧会の前年の1949(昭和24)年、王子神社は境内地の約8割を市へ提供し、神社そのものも王子町1丁目へと遷されます。さらに1956(昭和31)年には兵庫県で国民体育大会が行われることになり、メインスタジアムとして王子公園内に陸上競技場(現在の王子スタジアム)が建設されることになったために再び王子神社は移転を余儀なくされました。1995(平成7)年1月17日に起こった阪神・淡路大震災で大きなダメージを受けましたが、2007(平成19)年には氏子の皆さんの御尽力によって社務所や社殿などが再建されました。社殿脇に建つ大滝稲荷神社も鮮やかな朱色に塗り替えられるなど、美しく生まれ変わる息吹が感じられる神社です。
地図表示位置は正確ではない場合があります
原田王子神社 御朱印画像
神戸市で人気の神社
原田王子神社 参拝ブログ
関連ブログは自動収集しています。必ずしも正確とは限りません。