手力雄神社
注目スコア
12
種別
御祭神
創建
貞観2年(860年)
パワースポット
位置
手力雄神社(てぢからおじんじゃ)は、岐阜県岐阜市にある神社。
貞観2年(860年)に鎮座したと伝えられる。弘治年間には斉藤氏の祈願所になる。
中世には長森が戦略上の要所であることから、度々戦火に見舞われた。木曽川渡河点は手力雄神社鎮座地以外に無く、尾張以東の東海道の軍勢が京に上るには、この場所で木曽川を渡るしかなかった。従って信長父子は数次に亘って当所を攻めたが、湿地帯であることから大兵を用いることができず、断念。墨俣で陽動作戦を行う一方、鵜沼、前渡の川並衆を調略し、舟で各務原に渡った。信長公記には「新加納に布陣した。」とある。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに際しては、当社を祈願所としていた織田氏が西軍についたため徳川家康の襲撃を受け、神体などごく一部を除き全焼した。
元和年間(1615年~1624年)に本殿・拝殿などが再建され、幣殿・拝殿は明治13年(1881年)に再度造営されている。現在の社殿は平成20年(2008年)に新築である。
貞観2年(860年)に鎮座したと伝えられる。弘治年間には斉藤氏の祈願所になる。
中世には長森が戦略上の要所であることから、度々戦火に見舞われた。木曽川渡河点は手力雄神社鎮座地以外に無く、尾張以東の東海道の軍勢が京に上るには、この場所で木曽川を渡るしかなかった。従って信長父子は数次に亘って当所を攻めたが、湿地帯であることから大兵を用いることができず、断念。墨俣で陽動作戦を行う一方、鵜沼、前渡の川並衆を調略し、舟で各務原に渡った。信長公記には「新加納に布陣した。」とある。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに際しては、当社を祈願所としていた織田氏が西軍についたため徳川家康の襲撃を受け、神体などごく一部を除き全焼した。
元和年間(1615年~1624年)に本殿・拝殿などが再建され、幣殿・拝殿は明治13年(1881年)に再度造営されている。現在の社殿は平成20年(2008年)に新築である。
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手力雄神社 御朱印画像
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