菅谷鹿島神社
注目スコア
0
種別
御祭神
創建
大同年間(806-810)
パワースポット
位置
菅谷鹿島神社は茨城県那珂市菅谷の神社。
創建は大同年間(806-810)で、鎮座地は那珂市菅谷字両宮であったという。天喜五年(1057)に、前九年の役に勝利した源頼義が、御礼に社を菅(チガヤ:茅)で葺いて寄進したので、当地の地名が『菅谷』になったと伝わる。慶長年間(1596-1615)には、常陸に覇を唱えた佐竹義宣公が同地に八幡神社を祀り、『両宮』の地名が起こる。
元禄九年(1696)、徳川光圀公の所謂「八幡潰し」で、八幡神社が廃され鹿島明神だけとなり、天保十四年(1843)には徳川斉昭公の一村一社制で、鹿島明神も廃される。
その後、村人達の陳情もあり、安政三年(1855)三月に、斉昭公より正式に創建遷座を許され、現在の鎮座地へ社殿の造営が開始される。翌年一月十三日に鹿島神宮で分神霊を授かり、十四日から十九日まで、現在の水戸市青柳にある鹿島香取神社に滞在後、一月十九日に数百人の氏子や神官で分神霊を遷した神輿を挟み、菅谷まで遷宮行列がなされ、鎮座されている。
明治六年に村社に列格した。
創建は大同年間(806-810)で、鎮座地は那珂市菅谷字両宮であったという。天喜五年(1057)に、前九年の役に勝利した源頼義が、御礼に社を菅(チガヤ:茅)で葺いて寄進したので、当地の地名が『菅谷』になったと伝わる。慶長年間(1596-1615)には、常陸に覇を唱えた佐竹義宣公が同地に八幡神社を祀り、『両宮』の地名が起こる。
元禄九年(1696)、徳川光圀公の所謂「八幡潰し」で、八幡神社が廃され鹿島明神だけとなり、天保十四年(1843)には徳川斉昭公の一村一社制で、鹿島明神も廃される。
その後、村人達の陳情もあり、安政三年(1855)三月に、斉昭公より正式に創建遷座を許され、現在の鎮座地へ社殿の造営が開始される。翌年一月十三日に鹿島神宮で分神霊を授かり、十四日から十九日まで、現在の水戸市青柳にある鹿島香取神社に滞在後、一月十九日に数百人の氏子や神官で分神霊を遷した神輿を挟み、菅谷まで遷宮行列がなされ、鎮座されている。
明治六年に村社に列格した。
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